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組織における環境リスク管理のための知識モデルの構築とナレッジベースの開発

2008-2010: 科学研究費補助金(若手研究(B)) 研究課題番号:21760417

背 景

課題(A):環境リスクの多義性

第1の課題としては,「環境リスク管理の多義性」の問題がある。現在の「環境リスク」に関する研究では,例えば有害化学物質によるヒト・生態系への影響といったように環境負荷によるヒトの健康リスクや生態多様性のリスクを中心とした議論が展開されることが多い。これは,例えば日本リスク研究学会(2008)1)による「環境リスク」の学術的定義では”環境を介して生態系や人の健康を害する可能性がある悪影響を一般的に表現する用語”とされるように,環境媒体の何らかの状態を原因とし,ヒト健康影響や生態系影響をエンドポイントとする概念だからである。この場合,環境リスクは「環境負荷への曝露環境下での影響発生確率」と「エンドポイント」の積として演算されて意思決定に利用されることが多い。例えば「環境リスク」の典型的な領域である化学物質リスク管理では中間項分解が行われる2)。

 その一方で企業などの産業主体の立場からこの学術的定義に基づいて環境リスク管理を捉えた場合には,直接にエンドポイントであるヒトや生態系の状態そのものを管理対象として事業を展開することになり困難が伴うという見方もある。これまで著者が参加した環境リスク管理に関する教育プロジェクト3)を受講する社会人との議論を通じて,産業界では「環境リスク」を「ビジネスオペレーションに伴う環境負荷を発生させるリスク」と解釈する傾向が見られており,企業のCSR報告書や環境報告書における環境リスク管理関連の記述を概観しても同様の記述をする傾向が見られる4)。彼らの解釈する環境リスク管理は,例えば製造系では製品のLCM(Life Cycle Management),プロセス産業系などでプラント破損に関する信頼性評価と破損時の拡散シミュレーション,また環境マネジメントシステムなどではビジネスオペレーション中の「環境的側面」を抽出するといったように,上式の中間項分解の第1項より上流側のドメインを対象とした文脈で語られておる。これは「産業主体の管理バウンダリから外部へ環境負荷が発生すること」をエンドポイントとしたリスクの議論であろう。すなわち,学術サイドの“環境リスク”では「環境負荷下での健康リスク問題」を扱い,組織サイドでは「財・サービスの付加価値創造に伴う環境負荷発生リスク問題」を中心に扱っている。これを例えば”プラント破損シミュレーションを周辺に対する環境リスクレベルの評価を連結する”ように,これらの2つの「環境リスク」の関係を明示化し,システム統合するための知識の形成が相互連携を深める上で極めて重要な課題となる。

課題(B):組織の持続可能性と環境リスクの連関性

 次に第2の課題として、「環境リスクと経営リスクとの関係性」がある。一般には“組織においてビジネスオペレーションに伴う環境リスク管理を遂行することは組織として社会の安心・安全に関する信頼醸成に寄与し,ひいては企業価値へのマテリアリティとなり,IR活動等の組織活動へ正の効果を伴う”といった論理立てが行われることが多かった。これは(A)の第1の課題で示した安心・安全を保障するような環境リスク管理がビジネスへの間接的な波及効果をもたらすと謳うものであるが,この論点では従前のISO14000等による「環境マネジメントシステム」を「環境リスクマネジメントシステム」として「環境的側面の抽出」を「環境リスク的側面の抽出」にするような議論にとどまる可能性がある。
 ここで組織の内部から一人称の視点でサステイナビリティマネジメントを考えれば,ポスト京都議定書で描かれる世界での低炭素ビジネス戦略や化石燃料集約産業からの転換,生物多様性条約(COP10)以降に要求される可能性がある生物多様性オフセットや戦略的環境アセスメント要求への対応,投機的要素の強い枯渇性資源の価格変動に対するリスクヘッジやレアメタルに代表されるような希少資源の調達等への対応など,低炭素要求、生態共生要求,資源循環要求という地球システム側の環境制約が顕在化し,これら大域での制約条件に適応したビジネスモデルを構築することが組織としての戦略上の命運を分けると共に,地球社会の持続可能性にも資する本質的な意味での環境リスク管理の課題であろう。
 通常、こうした論点は経営学の立場から見れば経営リスクやカントリーリスク,環境学の立場から見れば環境システム研究の研究対象領域というように別途で考えられ,一般に学術的に定義される「環境リスク」とはかなり距離があるテーマのように思われている。しかしながら「ある環境状態が原因となり,ある主体の持続可能性に影響を与えるリスク」という定義においては,ヒトや生態系をエンドポイントにする場合も組織をエンドポイントにする場合も相似形という意味で従前の定義である「環境リスク」の一形態とも定義しうるが,この論理構造をより鮮明なものにし,組織と地球社会のサステイナビリティを連携した環境リスクの統合知識モデルを構築することが極めて重要な課題である。

  1. 日本リスク研究学会編:「リスク学小辞典」,64, 2008
  2. 化学物質リスク総合管理技術研究イニシャティブ:「化学物質リスク総合管理技術研究の現状」,189,2005
  3. 大阪大学大学院工学研究科:「環境リスク管理のための人材養成」プログラム,2008
  4. 例えば、TOYOTAダイキンなどを参照。

目 的

上記の背景と問題意識から,本研究提案では従前の「環境リスク管理」の概念を産業主体の一人称の視点で拡張した「組織の持続可能性を指向した環境リスク管理のための知識モデルの構築」を目的とする。本目的は以下の3つのサブゴールに分けられる。
サブゴール1は、「組織の持続可能性を指向した環境リスク管理のための知識モデルの開発」であり,組織と地球社会の持続可能性に対するwin-win解を指向した環境リスク管理のための知識の体系をモデル化するものである。
サブゴール2は「実事例データやリスク管理ツール群との紐付けによるナレッジベースの構築」である。サブゴール1で構築された理論モデルは抽象度が高い”知識を利用するための知識(メタ知識)”となるので,これらの知識群に対応する実社会での事例や管理ツールなどの具体的で詳細な知識(オブジェクト知識)の収集と連結を行う。
サブゴール3は「成果の公開とウェブシステムへの実装と継続改善システムの構築」であり,開発プロセスや得られた成果を適宜パンフレットの作成等で公開するとともに,知識モデルや事例・ツールなどの検索閲覧が出来るように,知的情報処理技術を用いたウェブシステムとして実装して利用者からのフィードバック情報を得ることで,知識モデルや事例・ツール,ウェブシステムを改良する。

成 果

1.リスクマネジメントと環境マネジメントの融合

「環境リスク」とは一般に,ある環境状態を原因とし,その状況下での主体の状態の変化を結果とした現象として定義される.この文脈において組織から見た環境リスクを定義した場合,「不確実な状況下で,環境状態を介して組織にもたらされる潜在的な影響」となる.図1は組織と環境とステイクホルダーの関係を示した模式図である.先行研究(松井ら2008a)でも議論したように,組織が対面する環境リスクには2種ある.
 第1の環境リスクは,組織活動に伴って発生する環境負荷により(図1のI),ヒト・生態系の健康や社会に対して影響を与え(図1のII),その結果が組織活動に対してレピュテーションや規制などの形で影響を与える(図1のIII)という因果連鎖を経るリスクである.これは主としてプロセス中の化学物質などの曝露による純粋リスクが想定され,学術的に定義(日本リスク研究学会2008など)される「環境災害リスク」と「環境リスク」と「違法リスク・レピュテーションリスク」の合成されたリスクとして,経営資源制約下での環境負荷発生の最小化問題に定式化されるであろう.
 一方の第2の環境リスクは,環境状態の変化と制約が組織活動に対して直接的に影響を与える(図1のIV)というリスクである.そもそも環境状態が組織に対して直接影響を与えるという意味では,環境曝露を原因としたヒト生態系への影響を「環境リスク」と呼ぶのと相似形で本来的な意味での環境リスクに近い.同時に組織の戦略形成に大きな正負の影響を与える意味で「経営リスク」と合成された投機リスクも含んでいる.これは,脱化石型の持続可能エネルギーシステムへの転換や生態系・生物多様性の保全や生物資源の代替,資源循環型システムに対する事業様態の改変といった大域的な環境制約下での適応度最大化問題として定式化されるものである.組織の立場からすれば,これら両方の環境リスクに対して自己のビジネスプロセスを良化することが求められており,これを支援するツールの開発が望まれる.この背景から本研究プロジェクトでは,組織の活動を支援する立場から,環境リスクマネジメントのための知識ベースの開発を目標にした.

2.E2RMSの開発コンセプト

2.1 E2RMSの概要
 本研究で構築する組織の環境リスクマネジメントの知識モデルであるE2RMS (Enterprise sustainability oriented Environmental Risk Management System)は,組織の活動プロセスから出発して,リスクマネジメントプロセスで実行すべきタスクを環境リスクドメインごとに構造化するというアプローチをとる.概念的に上位下位の階層で木構造化された環境リスクマネジメントタスクに関わる知識体系であり,最大で5階層となる.各タスクは,「環境リスクドメイン:環境面で企業責務に関する社会的風潮やNPO/NGOの要求や順守法令・法規制の動向」を「リスクマネジメントプロセス:認識する」といったようなドメインとプロセスを結合した記述形式で表現される

2.2 リスクマネジメントプロセス定義

 現在,リスクマネジメントに関係する各種規格の開発が進んでいる(日本規格協会, 2009).2009年12月にISO 31000としてリスクマネジメントの原則と実装のガイドライン,ISO Guide73としてリスクマネジメントに係る用語集,また同時期にISO/IEC 31010としてリスクアセスメントのガイドラインの公開が予定されている(ISO 2009a, ISO 2009b, ISO/IEC 2009).このISO31000はあらゆる組織のあらゆるタイプのリスクに適用可能なように汎化されたリスクマネジメントモデルであり,これをベースに使用者が各領域の持つ性質に応じてカスタマイズして利用することが想定されている.本研究で開発しているモデルはこれらの規格で定義されるリスクマネジメントプロセスと補完的に機能する構造を意図している.
 ISO31000で描かれるリスクマネジメントのシステムは大きく, (1)リスクマネジメントの定義と考え方などの原則である”Principles for Managing Risk”, (2)その原則の基で組織に実装したリスクマネジメントシステムをPDCAサイクルにより継続改善するための枠組みである”Framework for Managing Risk”, (3)それに従いリスクマネジメントをオペレーションレベルで実践するための具体的なプロセスである”Process for Managing Risk (図2)”から構成される.本研究では,この”Process for Managing Risk”を環境マネジメントに特化させるというアプローチにより環境リスクに関するリスクマネジメントプロセス定義を行っている.

2.3 環境リスクドメイン定義


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 一方,リスクマネジメントプロセスの適用対象となる環境リスクドメインの定義については,図3で示したプロセスアプローチによる対象世界モデルの構成要素を基に定義する.
 この対象世界モデルでは,環境リスクドメインは大気系・土壌・水系などの環境媒体や廃棄物,原材料,地域環境といった空間的・物的ドメインのみに限定せず,それらの環境負荷が発生する源となる調達・設計・開発・輸送・販売・運用・廃棄・再生という組織のバリューチェーンとプロダクトのライフサイクルを含む.これは例えばISO14001環境マネジメント規格では「環境側面」としてマネジメント対象となるドメインが定義されているが(ISO 2004),2004年の改訂の際の環境側面の拡張のように(寺田ら 2005),環境マネジメントはプロセスアプローチをとる品質マネジメント(ISO 2008)との両立性(compatibility)と共通性(alignment)と統合性(integration)を持つことが要求されていることにも示され(飯塚ら 2008),バリューチェーンを通じたプロセス・プロダクト・環境の統合管理が必要とされている.またバリューチェーンを通じた社会・市場との対話もリスク管理ドメインとして選定する必要がある.図1でも示したように,産業組織などの主体にとっては,既にプロダクトやサイト周辺環境のフィジカルな環境マネジメントだけではなく,コンプライアンスや社会的環境責任の適応性の観点から,環境コミュニケーション自体もリスク管理の対象に含まれている.そして特に重要なことは,今後の組織にとっては,低炭素社会の構築や気候変動への適応,生態系機能の持続利用や生物多様性保全といった地球環境的制約に対する適応方略が極めて大きな組織リスク要因になっていることである.低炭素社会への移行について,日本版グリーンニューディールや排出量取引,温暖化ビジネス等の状況をリスクの文脈で語る機会が増えており,生態系対応に関しては,社会の低炭素化の歴史から類推して機会と脅威を先取りする動きもある(WRI 2009).
 最後に,こうしたリスク群に対して,新規技術の開発や発展途上国への環境技術の移転・援助,環境的に公平・公正な社会整備もスコープに入れたグローバリゼーション下での組織行動のデザインが必要であり,国際連携や市場や社会との対話を通じた環境リスクマネジメントが求められる.

3. 環境リスクマネジメントタスクインベントリの開発

3.1 タスクインベントリの上位構造


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 表1では,2章で述べたコンセプトを基に開発を進める環境リスクマネジメントタスクのインベントリの上位構造を示す.この表は横軸に図2の”Process for Managing Risk”で定義されたリスクマネジメントプロセスでの各ステップに必要なマネジメントタスクの属性を記述している.また縦軸にはマネジメント対象となるドメインとそこでのアクティビティを定義している.縦軸の上から,まず1章で示した第1,第2の環境リスクの准に並んでいる.まずヒト生態系健康リスク,バリューチェーンで共有する環境リスクといったような原因を直接に制御するタイプの内部統制・制御的ドメインを記述した.次に第2の環境リスクとして示したような環境技術開発や,環境市場・社会的責任,地球的制約など原因への対応が適応的になる環境リスクドメインを記述している.最下部には,それでも残留する環境リスクに対するヘッジについての項目を置いている.また,中盤の「技術」に関する項目は,1章で述べた2種類の環境リスクの特性に応じて,”その技術利用に伴って発生しうる環境負荷とその影響を管理する”という意味と,”環境制約に対して適応するための技術開発・応用を管理する”という2つを定義している.またセル中には詳細なタスクを定義する際に特に重要となる概念を記載した.現在のver.9で365のタスクが定義されている.

3.2 環境リスクマネジメントタスクの特徴
(1) Establish the context
 これはリスクを定義するためのプロセスであり,組織経営の中に環境リスク管理を明確に位置付けて目標設定と戦略・行動計画の策定ができているか,その場合に何を環境リスクとして認識しているかを定義している.

(2) Risk identification
 これは,先に示した2種類の環境リスクに応じて,(I)環境負荷が発生するシナリオとそれを生じさせうるビジネスプロセス,および(II)ビジネスプロセスに影響を与えうる環境的制約を特定しているかをドメインごとに定義している.

(3) Risk analysis
 このプロセスでも,Risk identificationと対応する形で,特定された環境リスクに対する(I)環境負荷の量反応関係やその環境負荷を生じさせるビジネスプロセスの分析,および(II)環境的制約に対する組織の適応度の分析を定義している.

(4) Risk evaluation
 上記のリスク分析で得た結果を社会・経済的視点から解釈し,対抗リスクの特定や総合評価,優先順位付けなどを行う評価タスクを定義している.

(5) Risk treatment
 このプロセスはこれまでの一連の評価結果に従って対策を講じるための環境リスクマネジメントシステムの運用や組織行為を定義している.

(6) Monitoring and review
 図2に示したように,このプロセスはマネジメントシステム全体を通じて実行するものであり,リスクマネジメントプロセスの検証と結果の妥当性に関する監視とレビュー,結果の活用についてのタスクを定義している.

(7) Communication and consulting
 このプロセスもマネジメントシステム全体を通じて実行するタスクであり,環境コミュニケーションができているか,その際に共考と専門事項の相談を実行しているかについて定義している.

4. 環境リスクマネジメントナレッジベース(プロトタイプ_v1.0)


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